ちょっと辛いから吐き出してみようかな…。
「痛いって表情を見せたら負け」
そう教えられて続けてきた空手。
そのおかげで、どんな時でも笑っていよう。マイナスの感情を出すのは辞めよう。
だってエネルギーの無駄だものと、自分に言い聞かせてきました。
自分のことは自分が幸せにしてあげればいい。
つまり
誰かに頼っても、その人とはその人の人生で精一杯。
頼って失望するくらいだったら頼るのを辞めたほうがいい。
その方が精神衛生上安定していた。
嫌だなぁと思うこととか、辛いって思うことがあってもグッとのみ込む。
今これ乗り越えればその先楽だから
そう思って上り詰めてきてスキルアップをさせた
けど、最近知ってしまったこと。
この生き方は、現代社会に生きる人からしたら我慢しすぎだと…。
問題が公になった瞬間、よく耐えてたね、頑張ってたねと声をかけられてしまい、
忍耐の自己暗示が解けてしまった。おかげで辛すぎて辛すぎてしょうがない。
この人はこういう人。それも理解して受け入れたうえで向き合う。それでいい
でもそれは傍から見たら「自己犠牲」だった。
決壊してもう怖くて怖くて仕方がない。そんなマイナスの感情を持っていたところで何も変わらない。場の雰囲気が悪くなり、百害あって一利なし。自分が変われば話は早い。
ただ気づいてしまったのは、私は相手を受け入れるが、そんなことをしても相手は私を一切受け入れないのだから変わるわけがない。
我慢をしたことが、相手の成長を実は阻害するのだと、保育士時代に理解していたハズなのに、それが結局逃げだったんじゃないかと気づいて反省する。
だからこれからこうしていこうと軌道修正する気持ちの準備は出来ているのに、途端に足が動かなくなってしまったのです。
その結果、他のなんの関係のない人からの感情の受け取り方を間違えてしまい、また後悔を増やす。もう今消えたくて消えたくて仕方がない。なにこの偽善者、気持ち悪いって自分に言ってしまう。
やっぱり生きにくい。死んでもロクなことはないからそっちを選ぶことはまずないけれどね。
鑑定は対面でしかしないと決めている。100歩譲って電話。文字だけの疎通だけは絶対にやらない。ト書きも何もない文字だけで相手の感情を100%理解するなんて不可能。しかも、今の相手の状況だって想像するのに限界がある。
それで怒られても…ガー不じゃないかと責めたくなるが、聞く耳を持つ相手でもない。私が悪かったんだねとまた呑み込むしかないが、結局私っていらないんだよね。他者にとって
それでいい。今はもう誰の役にも立てない。無理をしていると思われてもそれは私の望みと違うし、すこし読み合いに疲れた。
怖いしか言葉が出てこない。
弱虫と笑う自分にまだ力が残っているなら、このポンコツを上手に引き上げてほしいよ…頼むからさ。